書く才能



文章家になる。いや、そうではなく。
文章を書くことで、心が満たされる本源は一体何なのか。
なぜ書きたくなるのか。

そう問われると、わたしは単純明快に下のように答える。
「読んだ相手の反応が目に見えて楽しいためである。」

文章家と決め込んでいる人々全てが、こうあろうはずない。
が、わたしの「書く」行為の本義は、読者の世界観に反応を与えることに帰納している。換言すれば、読者の生活に変化をもたらすことである。

一つ例をあげたい。
わたしには、少年時代に「書く」行為をもって非常な愉快を体感し、その拡散力の凄まじさと周囲への影響を体験している。

私設の学級新聞を連載し、学生批評、友人との遊びの出来事、個人の学習段階報告など、学内においては無視できない情報を一枚のペラ紙に満載に書き殴ったのだ。

その新聞は、学生個別に関わることでもあり、本人たちの関心を強く生んだ。
ついには、執筆が興に乗り、話題が学内を超え、私生活の諸事情にまで及び、学級内で問題化した。
担任の教師にこっぴどく叱られ我が私設新聞は5刊をもって廃刊してしまった。
小学生当時のわたしが新聞を書く事は、徳義上まだ時期尚早であったようである。

上述したように、書く行為は人々にとって大きな影響を与えうる。
筆の意思が暴走すれば、わたしのように言論統制を教師から食らう羽目になるであろうが、道義上問題がなければこれほど人々を楽しませ、意義のあるものないと自負している。

書く才能とは、読者の価値や思考に反応を与えることができる能力と言えるのではないだろうか。

決して、修辞に秀でることが名文や文才に秀でているとは言えない
そのようなものは、書いているうちに知らぬ間に自ずと求め、身についてゆくものであろう。


さて、前置きが長くなった。
本稿はそもそも、書く才能について語りたいが故に書こうとしたのもではない。
昨今、ウクライナとロシアの戦争が世界中の関心の的となっている。
そこでネオナチなどといった単語が散見されるので、ナチスの映画を鑑賞し、その中で、ヒットラーが自決し、その時の新聞はどのように報じていたのか。
それが気になり調べ、想念として「書く才能」などと表題をつけたまでである。
当記事を見て、過去の自分の新聞記事を相照らし合わせながら、書く行為について少しばかり語ってみようと思う。

 

中心人物の一大事件

ある影響力のある人物の不結果に関して書くことは楽しい。
これは別段、わたし自身の品性が劣っているわけではない。
人は他人の不幸を面白く感じる稟性がある。
物事を成功させる事は、誰にだって難しいものであり、無論失敗が多い。
恨みつらみこの世に多し。
大衆に受容されやすい記事は、読者の反応を想像しやすい。
それ故に、書いている方も楽しい。
読まれるからだ。表情まで目に見えてきそうである。

わたしが過去に書いた人物批評を一つあげたい。
学年で常にナンバーワンの成績を残している人物を、わたしが数教科で凌いだ時のことだ。
普通の成績を残していたものが、彗星の如く上位に現れ、王座にいたものを蹴落とす。と言った具合の記事を書いた。
どうして急に成績を格段に上げることができたのか。
勉強に関心のない人間まで読んだ。
中心人物が王座から陥落したことに皆が関心を抱いたのだ。
そして、自分自身ももしかしたらできるのかもしれないと思うようになり、数人の成績が少し上がったのである。

当時小学生であったわたしは、相手の反応がどう出るかなどの戦略的な考え方を自覚していたわけではなかったが、「何をどう書くか」つまり「相手の反応がどう出るか」を明確に脳裏で表せていたのであろう。
書くこと自体が楽しかった。その肌感覚は20年以上の時を経ても鮮明に生きており、まさに文章の真髄であろうと認識している。

話は、ナチスの記事に移るが、おそらく、下のナチス高官の衝撃的な死を書いた記者は、全世界がどう反応するか胸を踊らせながら書いたであろう。
世界を席巻した人物。しかも、その人物の生死で世界の情勢が変わる。
全世界に先駆けて衆人の耳に届けたとあれば、物書きとして最高の栄誉と快感を浴世田のであろう。

ヒトラーゲッベルス死す。
全世界の人間の世界情勢に対する認識が一夜にして変わる。
これほど、胸を躍らせながらかける内容はないであろう。
読者の感情を想像できる書き手ほど優れたものはないだろう。

いやはや、豪語してしまったが、気になさらないでいただきたい。小生若輩者の独り言である。

今日の表現教室

【眼目】ある行動を行う上での最大の目的を眼目と言う。
例えば、本稿であれば将来わたしに何かしらの気づきを与えるかもしれない。と言った想念メモとして記事を書いた。
将来へのメモ。これが眼目にあたる。

【趣旨】話の中で非常に重要肝心な事柄や点。
話の趣旨を先に話す。
相手と意思疎通をする場合は、趣旨を相互共有しておかないと会話が成り立たない。
その点で、趣旨は日常多用する語彙である。

【本義】その物事のみが果たすことができる存在価値。
文章家の本義は何か。
他の職業の人では達成が難しいことを、実現できる価値として表現する時に使用する。